2019-11-29
その要因として主家である前田家の家格によるものが大きかったようです。
戦国武将・前田利家を祖とする加賀前田家。
初代・利家、2代・利長は豊臣姓を賜るほどのブッチギリの豊臣贔屓でしたが
関ケ原をきっかけに時代は確実に豊臣から徳川へ変わりつつありました。
そんな時世の変化を感じ取ってか子供のいない2代目・利長は
弟・利常を自身の養子にした上で徳川秀忠の娘・珠姫を正室に迎えさせました。
更に関ケ原から5年後には2代目・利長は早々に隠居して
利常に加賀の3代目を継がせることで豊臣贔屓の前田家の方針が
徳川寄りに転換したのを天下に示しました。
その後は徳川将軍家の側近である本多正信の次男の政重を
前田家の筆頭家臣として迎えることで前田家は徳川家との
「緊張感のある友好」を維持しつつ
結果的に250年を超える「徳川将軍家による日本の平和」にも貢献しました。
そんな徳川家との関係を醸成していく中で
前田家は従三位・宰相という全国の外様大名としては唯一、
徳川御三家と並ぶ異例の待遇を受けることなります。
そりゃー、そんな前田家の家臣である前田土佐守家や本多家が
官位を受けたりしてしまう・・・って流れにもなるわけです。
今まで知らんかった話が多かったですが
これは勉強になりますなぁ〜。
そんな前田土佐守家の資料館で
さまざまな資料を見ていたらあっという間に1時間が経過しておりました。
今度は足軽資料館へ行ってみようと歩いていると
シティーサイクルみたいなやつが置いてありましたが
使い方が分かりづらいし面倒くさそう。
・・・これは改善してほしいなぁ。
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